今朝、6時半。
寝ているジジのベッドに、パパが、来ました。
「お父さん、オレ、
今から、仙台に帰らなくちゃいけなくなった。」
5月3日に、久しぶりに自宅に帰ってきて、
たった、二日間で、また、家族と離れ、仕事づくめ。。。
帰ってきても、ママは、仕事に出かけ、
子供たちと、家で、ダラダラ。。。
たまに、ママと顔を合わせると、口げんかばかりで、
しまいには、離婚するとか、言い出す始末。
なんだか、哀れです。
ジジは、いつも、いつも、
何年も前から、思っているのです。
仕事で、長期出張とか、転勤とか、
海外へ飛ぶとか、
なんか、違うんじゃない???って。
たしかに、
家族を養うために、一生懸命、与えられた仕事を
することは、当然といえば、当然ですし、
そうすることによって、
安定した収入が得られ、生活も豊かになるでしょう。
物理的には。。。
子供にとっても、
「お父さんは、家族から離れてまで、
お仕事がんばってくれている。」
という尊敬のまなざしもあるでしょう。
でも、
当のお父さんは、どうなの???
・仕事だから。。。
・それが、オレのやりがいだから。。。
・家族のためだから。。。
確かに、
そういった人たちが、たくさんいたおかげで、
日本の高度経済社会は、成り立ってきたと思います。
でも、
ジジは、
あんたら、社蓄???
って、思ってしまうのです。
はい。
ジジの偏見なのは、十分承知です。
でもね、
失って、はじめて、後悔するものです。
ジジのように、子供に先立たれるということは、
ごくまれでしょうが、
子供が、いつの間にか、成人して、
自分の道を歩み始めたとき、
「こんなにも、立派になったんだな~。」
という反面、
数えれるほどの少ない思い出しかないと思うのです。
ジジが、27才で、当時の中小企業の飲食業に
入社して、月間360時間、3ヶ月休みなしというのが、
当たり前の環境で働き、
その中で、
周りは、国立○○大学卒業とか、
早稲田卒業とかの同僚の中で、
自分のあまりのバカさ加減に、腹が立ってました。
だって、
分数の分母に、
また、分数があったりするんですぅぅぅ。++;
その悔しさから、
毎日、深夜の帰宅後、小学校5年生から、
高校3年生までの数学と国語の勉強をし続けました。
その時、はじめて、Σ とか、limって、
車じゃないって、知りました。^^;
そんな、
睡眠時間3時間ほどの生活をした結果、
十二指腸潰瘍で、血を吐き、入院することとなりました。
しかし、当時のジジは、仕事命!
入院初日に、
看護師さんに、
「退院させてくれ!」
「仕事が、たまってるんだ!」
と言ったら、看護師さんが、ジジの頭を叩いて、
「何言ってるの!」
「会社には、あんたの代わりは、山ほどいるけど、
家族にとってのお父さんは、あんたしかいないのよっ!」
って、怒鳴られました。
当たり前のことですし、
そんなことは、重々承知のはずですが、
なんか、
変に納得して、一週間、入院することにしました。
まぁ、当時のWindouws95もないような時代の
どでかいノートパソコンを持ってきてもらって、
ベッドの上で、仕事はしていたのですが。。。^^;
そして、
その看護師さんの言葉は、今でも、
心の奥底に、残っています。
たぶん、
ジジが、専業主夫を志した理由の一つかも
しれません。
この言葉。
たった一人でもいいから、その重みを
このブログから感じとって、心の奥に、伝わってくれれば、
本望だと思っています。
「会社には、あんたの代わりは、山ほどいるけど、
家族にとってのお父さんは、あんたしかいないのよっ!」
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